2017.12.28生活習慣

翁(おきな)とてくてく東海道(6) 三島宿~原宿、箱根湯本~箱根宿の巻


翁(おきな)2人と日本橋を出発したのは、2016年5月。早くも2回目の年の瀬を迎えた。17年秋は週末の台風で3度も中止の憂き目に遭い、月1で歩き継ぐことができなかった。幸い2人は元気。18年も無理せず道中の史跡や味を楽しみながら、東海道を西へと歩き続けたい。今回の旅は、三島宿~原宿と箱根湯本~箱根宿。空気の澄んだ冬に富士を眺めたいので先に三島~原を歩き、春を待って積み残した箱根の山登りに挑んだ。

空気の澄んだ冬に富士山を見て歩く

空気の澄んだ冬は富士山の近くを歩きたい。今回は三島~沼津~原。伊豆国から駿河国へと歩みを進める。

芭蕉、若山牧水、太宰治、井上靖…三嶋大社まで文学の散歩道

2017年2月19日。翁2人に弟を加えた4人が午前8時半、三島駅に集合。桜川沿いの三嶋大社までは、「水辺の文学碑」と呼ばれる文学の散歩道になっている。芭蕉、若山牧水、太宰治、井上靖などゆかりの文人の碑が並ぶ。三嶋大社は2016年7月に箱根下りのゴールにしたところ。今回は祖父の命日で、親父(おやじ)は「仏壇に供える」と言って大社のまんじゅう「福太郎」を買った。親父もいまや祖父の没した79歳になっている。

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三島の「水辺の文学碑」

三嶋大社

大社から三島宿を進み、順調に柿田川公園に着いた。「柿田川湧水群」と呼ばれ、日本の名水百選のひとつ。シニアガイドの解説を聞いた。富士の地下水が三島溶岩流からここで湧き出て川になっている。湧出量は「25メートルプールを30秒で満たす勢い」だという。寿命1年のアユがここでは2年生きるのもいて、30センチの尺アユになるそうな。ガイドのお礼に湧水保全寄付を100円。

湧水で有名な柿田川公園

続いて「頼朝・義経の対面石」のある八幡神社に着いた。頼朝挙兵を知って奥州平泉から義経が駆けつけ、ここで対面したという。頼朝の座に叔父、義経の方に弟が着座して写真を撮った。

頼朝・義経の対面石

黄瀬川の橋から絶景を拝めると思ったが、富士山だけが雲に取り巻かれている。遠くの雪山を見て、親父が「あれ、農鳥岳だろ」と言う。確かに南アルプスの盟主・白峰三山が見える。手前の富士が見えず何とも残念。

黄瀬川からの眺め。富士山は雲の中。手前は愛鷹山

沼津市では狩野川べりの道を歩く。「狩野川台風。昭和33年(1958年)」と親父。「伊勢湾台風より前?」と聞くと「それは次の年」と親父。「伊勢湾台風のニュースを読んでいたNHKアナが女優の野際陽子」とわが知識を披露すると、叔父が「立教大学の5年先輩だ」と受けた。この二つの台風と、洞爺丸台風(1954年)の被害はいずれも9月26日。この災害特異日は、親父の誕生日なのであった…。(野際陽子さんは、この旅の3か月後に亡くなった)

昼飯は30分待って名物の海鮮かきあげ丼

昼飯に、東海道を外れて沼津港に向かう。寄り道なのでバス利用。お目当ては、名物「丸天の海鮮かきあげ丼」だった。人気の沼津港食堂街で「魚河岸丸天」は行列店。30分以上待った。店員からは量的に「2人に一つで十分」と言われたが、待たされたのをバネに1人1丼を強行した。何とか完食したが、当分天ぷらは見たくない。

通称「タワー天丼」

タクシーで東海道へ戻る途中、雲の立ち退いた富士山が見えて運転手さんが橋上で速度を落としてくれた。彼は「オレが好きなのは田子の浦から見る富士山だな」と語っていた。

狩野川からの富士山

歩行再開。既に午後3時だが、腹ごなしに沼津城本丸跡から宿場を抜けて牧水の墓所、乗運寺へと足を進める。春の花が盛り。千本松原に立ち寄ると、首を垂れてスマホを見つめて歩く男女の群れがいる。位置情報を利用してキャラクターを獲得するスマホのアプリ「ポケモンGO」だ。

若山牧水の墓のある乗運寺

千本松原

ここからは原までの6キロをひたすら歩いた。午後6時前に天然温泉「ざぶ~ん」に着いて、背中を流した。

反省会はラーメン店。浜松餃子(ぎょうざ)と野菜炒(いた)めを一つだけ頼んで、生ビールにした。明暗を分けた家電メーカーの話をしばらくやって、原駅で電車に乗った。

歩行距離20.8キロ、歩数4万1306歩。寄り道が過ぎた。

春を待ち箱根の山登りに挑戦

春になったので、積み残しとなっていた箱根の山登りに挑戦。この難所は、雪がなく暑くもない4月に歩くと決めていた。

2017年4月22日。箱根湯本駅に午前8時半集合。叔父は「自信がない」とのことで今回はパス。代わりに若叔父(65)とおふくろ(74)が参加して、親父(79)と4人で芦ノ湖をめざした。親父もおふくろも山登り経験がある。あじさい橋を渡って、急坂を早雲寺へ向かう。階段がきつく、親父が早くも立ち止まって膝に手を付いている。近道は酷だったか。おふくろは「これはレンギョウ。これはシャガ」などと花を見つけては喜んでいる。

箱根湯本駅近くにある「あじさい橋」

早雲寺は茅葺(かやぶき)屋根の鐘楼とクスノキが見事だ。北条早雲から5代の墓所。解説版に早雲は88歳で没したとあったので、最近有力な64歳死没説を披露した。「88歳説だと、早雲は80歳を超えて戦に出ていたことになっちゃうから、疑問視されていた」と言うと、「お義兄(にい)さんだって今年80なのに今日も駆け巡っているじゃない」と若叔父。

早雲寺・北条五代の墓所

歩道のない区間が多いので、縦一列に歩くよう注意した。奥湯本温泉郷を歩いて、正眼寺。桜は散っていたが、尾根上には白やピンクの層がある。石畳の保存区間に足を踏み入れると、車が来ないのでホッとする。鎖雲寺の入り口ではおふくろがクレソンを発見し、4人で味わう。

東海道は「女転ばし坂」という急坂を通るが、車が来ない「須雲川自然探勝歩道」を選んだ。石畳を登って畑宿に到着。幕末に米国総領事のハリス一行が下田から箱根越えをしたときの逸話を披露するも、みな腹が減っていて「早くそば屋行こう」と言ってろくに聞かない。

箱根の須雲川自然探勝歩道を歩く

昼はお目当てのざるとろそば

早速、お目当ての桔梗屋へ。ビールとざるとろそばで乾杯した。粘り強い大和芋のとろろそば。畑宿と言えば寄木細工だ。親父が「会社で予算書出したら、『こんな寄木細工みたいな細かい予算じゃなくて、骨太なのをやれ』って叱(しか)られたもんだ」と言うと、若叔父が「寄木細工、高いんだよ。失礼だね」と反論。僕が「金太郎飴ってのも個性がないっていう悪口に使われるね」と言うと、若叔父は「金太郎飴(あめ)も、最近はいい意味で使われる。部署で意思統一が徹底していて、誰でも同じ対応をするっていう意味で」と反論した。

桔梗屋のざるとろそば

寄木細工をみて急坂を歩く

隣りの土産店で寄木細工を見て、畑宿からの急坂にかかる。親父がいよいよつらそうだ。枝を2本拾って、両手でつえにしながら登る。午後2時半頃、急坂が終わり、親鸞聖人の記念碑に着いた。

石畳の急坂を行く

4人の弟子を連れて東国の教化を終えた親鸞が京へ戻る途中、ここまで来て、「東国に教えが根付くか心配だから」と1人を東国に戻したとある。おふくろが「ここまで来てからそんなこと言ったの」と弟子に同情する。確かに箱根を登らせる前に言うべきだ。峠まであと一息の休憩所「甘酒茶屋」で休息。フキノトウにゴマの入ったお茶請けがうまかった。

甘酒茶屋

茶屋から最後の石畳を登り切って峠に到着。湯本から800メートルも登ってきた。芦ノ湖までの下りは20分ほど。元箱根に着くと雨が降り始めた。

元箱根に下ると桜が…

箱根関所へ向かうが、杉並木が雨を遮ってくれて傘は不要。関所資料館を見物して箱根港のバス停にゴールイン。無事に完歩して、親父の東海道が日本橋から駿河湾までつながった。バスの臨時便があり、30分もしないで箱根湯本駅へ戻った。日帰り湯につかり、小田原へ移動して居酒屋で反省会。ビールを重ねて、不参加の叔父に写真を送ったのでした。

復元された箱根関所

歩いた距離は、12.7キロ。歩数は2万6886歩になっていた。

筆者:丸山 謙一 / まるやま けんいち

丸山 謙一 / まるやま けんいち

1966年横浜市生まれ。読売新聞東京本社の社会部デスク、盛岡支局長、医療ネットワーク事務局長などを経て現在、教育部長。道楽で街道ウォークをやっていて、親父たちと一緒に、毎月1回、休日に歩き継いでいる。毎回10キロ、2万歩が目標。

記事提供:ヨミドクター(読売新聞)

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